2021年、僕の会社ではファッションデザイナーを探していた。
実績があり、即戦力となるデザイナーだ。
10名以上の応募をいただいたなかで唯一何の実績も持っていなかったデザイナーが現在SUBLIMATIOを運営する古川さんである。
書類審査時に過去の実績などを記載してもらうエントリーシートと過去の作品のポートフォリオを提出してもらうのだが、書類審査時に僕たちの中では意見がわかれていた。
当時まだ卒業前の学生であった古川さんに対し「実績を持っていないのだから落選にすべきだ」と言う意見と「この才能は今から育てていきたい」と言うものであった。
そして最終的には予備合格から、正式なブランドデビューへつながっていく。
それほどまでに強い光を放った存在であった。
当時提出された卒業制作の作品
大きな違和感
古川さんと面談を重ねるごとに僕は大きな違和感を感じていた、
ファッションデザイナーと話をする時に「独特の空気感があるな」と感じる方は珍しくないのだけれど、古川さんの場合それがほとんど感じられなかったのである。
それどころか素晴らしく真面目で柔軟性があり、こんな素直な人がファッションデザイナーなのか?と疑いたくなるくらいであった。
もちろん若さゆえにオーラが成熟していないと言うことも考えられただろうが、それにしてもなんというか無色透明のように感じたのである。
この違和感の正体は取材を通してわかってきた。
生きるのがとても得意でない
最初に古川さんと面談した際に「生きるのがとても得意でない」と言われたのを覚えている、そこから話すたびに何度か耳にする言葉になるのだが、最初に聞いた時にすごく感心したのを覚えている。
「生きる」という言葉は本来は適切な食事と適切な睡眠を取ることによって健康的に存在すると言うことなのだろうけれど、現在の日本社会にとって「生きる」という言葉はたくさんの意味を纏っている。
例えばきちんと学校に行っていることや、交友関係に苦労しながらもなんとなく楽しく過ごしていること、もしかすると自分の周りの人間の何割かの人たちが納得する趣味を持って周りの人たちから認められながら「生きる」というのが現在の日本社会においての「生きる」なんだろうと思うのだ、そういう複雑化した「生きる」を難しく感じている人が今の日本にどれくらいたくさんいるのだろうか。
自分自身もそういった「生きる」が非常に難しく感じており、不登校を繰り返した過去がある。
そういった社会通念状の「生きる」を外れた人たちは「死んだ存在」なのだろうか?などと思ったこともある。
古川さんはその想いに失望するのではなくデザインに落とし込んで表現し、それが受け入れられる形にすることに成功している。
きちんと「生きている」と感じる、そういった意味で非常に感動したのである。
古川さんはもともと難聴を持っていたり、複雑な家庭環境などの影響もあり人生の半分は引きこもりをしていたそうだ。
学校に行って、言われたことを言われた通りにみんなでやる。
それがあまりにも難しかった。
そもそも人それぞれ性質が違うのに同じ行動をし続けるという不条理の中で芸術と出会った、芸術は自由だった。
「どうしようもなく自由に生きたかったんです」
そう語った古川さんはいつも通り控えめな喋り方ではあったけれどそこには計り知れないエネルギーを感じることができた。
自分の中にあるとてつもなく大きなエネルギーを芸術を通して発散する、それは古川さんが求めていた「どうしようもなく自由」な行動であったのだろう、朝5時に起きて山に登って写真を撮りに行った日もあったそうだ。
そんな中古川さんはメイド服という存在に出会う、
ビクトリア時代、慎ましやかで華やかだが使用人服で表に出るものではない、そんな閉塞感がたまらなく魅力的だった、
もともと芸術にエネルギーを注いでいた古川さんがメイド服を作り始めるのには時間はかからなかった。
すぐさま独学で服作りを始めた、13歳の時だった。
始めてみると平面だったものが立体になっていくことに面白さを感じたという。
他にメイド服の好きなところはありますか?
と聞いてみると「白と黒っていいですよね、特に黒はその人の輪郭を引き立たせることで着ていただける方自身にフォーカスを当てることができるので、いろんな要素が含まれている色だと思っています」と答えてくれた。
メイド服の魅力と古川さんの内面にある思いが見事重なったのだ。
SUBLIMATIOの服作りにもこの思いが多分に組み込まれている。
白と黒が多いという純粋なものだけではなく「着る方にフォーカスする」という部分である、SUBLIMATIOというブランド名も「昇華」という意味からきている。
昇華とはある状態からさらに高度な状態に飛躍することを指す。
SUBLIMATIOの洋服を通しお客様の感情に働きかけ、お客様の思いや感情が昇華されていく。それを積み重ねることにより古川さんやSUBLIMATIO自体がどんどんと昇華されていくのである。
SUBLIMATIOの洋服はそういう意味で着る方が主役なのだ、素晴らしいデザインでありコンセプトであるがあくまでも主役はお客様の内面にあるのだ。
古川さんとの服作りを思い返してみると「騙された!」と思うことがある。
もちろん良い方向に裏切られているのだけれど後になって答えを知って驚くから、最初に教えて欲しかったということだ。
例えば今回のARATASHIで出展しているアイテムも部屋着?外着?いつ着るの?部屋着にしては高くないか?この格好で外に出るのか?などいろんな意見が出てきていた。
しかし取材の時に話を聞きながら思ったのである、その意見はまさに古川さんが感じていた「生きるがとても得意ではない」という事情そのものなのではないだろうか、誰かの基準で「外に出るときの格好」とか「部屋着だから誰にも見られない=気の抜いた服装」とか、服=見られるとか、勝手に本人の気も知らないで定義しているのではないだろうか。そんなことを思ったのである。
僕たちはいつも何処かで何かの基準の中で生きている。
そして知らず知らずのうちに自分が生きてきた定義が「正しい」と思っている。
それが悪いことではないがその正しいは無限に存在しているということもまた事実なのだ。
古川さんが表現しているのはあくまでも古川さんの中の「正しい」なのだ。
冒頭で書いた違和感、古川さんには大きな思想の形が見えず無色透明だったという話だがその答えの正体は古川さん自身が「何かに反発している」という意識を全く持っていないことだった。
純粋に自分自身が考えている「正しい」を表現してるのだ、そして自分は正しくて相手も正しいということを理解している。
だから柔軟にも対応できる。
あまりにも自然に自分の思考を体現しているからそこに違和感がなく、無色に見えたのだがしかしその本質は水のように強く、しなやかで、それでいてとてつもなく強いエネルギーを持った存在だったのだ。
まだ芽生えたばかりの才能であるが、これからがどうなるのか本当に楽しみなデザイナーである。
ARATASHI限定でSUBLIMATIOの2つのアイテムを現在受注しています。
受注期間は2月6日の23:59までです。
〈SUBLIMATIO〉
The Midnight Dress
The Midnight Dress(ページはこちら)
〈SUBLIMATIO〉